FIREを目指すITエンジニア

湖国に住むITエンジニアが思った事を日記にまとめます。

バロンドール受賞者の澤さんの貴重なお話聞けました!

今日は大阪市内で、とあるセミナーに参加してきました。そこで、なんと!なんと!あの超有名な日本人女子で史上初の女子ワールドカップ優勝と、バロンドール受賞者のあの澤穂希さんの貴重なお話を聞く事が出来ました!澤さんと同じダブルボランチの坂口さんとの対談形式でしたが、非常に有意義な時間でした!

セミナー

女子ワールドカップ2011

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私自身は、TVでリアルタイムで見てましたが、本当に感動を与えてくれましたね。W杯前は、誰も期待してなかったのか、国内からドイツに向かう便の記者などの人数はわずか二人だったそうです。下馬評でも、日本が優勝するとは誰も思ってなかったでしょうね。

澤さんのゴール

コーナキックになった時に、アメリカのGKが時間稼ぎをしていたそうです。(私は上述のようにTVをリアルタイムで見てましたが、覚えてなかった!)その時にチームで話合い、澤さんがニアに走る事は決めていたそうです。あのゴールは練習でやっても、10回に1回、いや、もっと確率が低いと思いますが、あのゴールの瞬間、澤さんはいわゆる「ゾーン」に入っていたそうです。タイミングと言い、紙一重のゴールだったと思いますが、ゴールの瞬間は、一瞬わけがわからず、ゴールと分かった瞬間に鳥肌が立ったのを覚えてます。

そしてPK戦

PK戦では澤さんが監督から4番目に蹴るように指示されていたそうですが、澤さんはPKが苦手らしく、それを断り、10番目としたそうです。(笑)岩清水選手が退場になっていたので、GKの海堀さんより後という事になります。(笑)PKは私は苦手だから、得意な人がやればいいじゃん!って感じで、順番が絶対に回ってこないように願ってたそうですね。

澤選手はもしかすると、サッカー選手になれてなかった!?

澤選手は、お兄様の影響でサッカーを始められたそうですが、お兄様が入っているスポーツ少年団は、当時は、女子は入れなかったそうです。そこで、澤選手のお母さまが抗議し、澤選手がそのスポーツ少年団に入る事が出来、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせる事が出来たのですが、そこで、スポーツ少年団の入団を諦めていたら、サッカー選手としての澤選手は存在しませんし、女子ワールドカップの優勝も無かったでしょうね。当時の澤選手は、まさに日本代表の象徴でした。

まとめ

澤選手と坂口選手からは、当時の裏話なども聞けて非常に有意義な時間を過ごせました。と、同時に澤選手がスポーツ少年団に入れてなかったらっと思うと、今のなでしこは今ほど、人気は出てないでしょうし、低迷していた可能性すらあります。

 

私の居住地域の公園は、遊具が殆ど撤去され、うるさいという理由で、ボール遊びも出来ません。これって後の超有名スポーツ選手を輩出する機会損失になるんじゃないのかなっと、澤選手の話を聞いて思いました。うるさいという大人も、自分が小さい時はあったはずですが、忘れてしまったんですかね。限度はあるにせよ、子供は元気よく遊ぶものだと思います。自分としては、今を生きてる子供が大人になった時にどうなるんだろうっと不安の方が大きいですが、本当にどうなるんでしょうね!?