FIREを目指すITエンジニア

湖国に住むITエンジニアが思った事を日記にまとめます。

システムエンジニアのキャリアについて(4)

前回の続きです。

結婚、転職

結婚を視野に相手の持ち家がある滋賀県に引っ越しました。引っ越し直後は当然ながら、無職でしたので、アルバイトしながら転職活動をしていました。その時に京都のシステム開発会社と縁が有り入社となりました。正社員で、給与は、今までで一番良かったのですが、今、考えると、当時の自分の能力を加味した場合、結構、安かったですね。自分の市場価値を知らなかったからですが、当時の自分がそれを意識していたら、生活はもっと楽だったろうなと思います。

初めての業務システム開発

転職した会社では年齢がそれなりであったという事もあり、下請けではありましたが、元請けとのやり取りも含めてマネージメントをさせていただく事になりました。作成するシステムは、DBをごりごりに扱う業務システムで、学校の生徒さんの管理や試験結果、学校の会計システムなど幅広く担当しました。この時に簿記の学習し直しが必要と考え、高校在学中には全商簿記2級を取得しましたが、日商簿記3級を学習し、取得しました。プログラム言語は主にC# .NETで、DBは、SQL SERVERでした。ここでの業務システムでのDBの経験は、後のキャリアでも非常に役に立ったと思います。

初めての大失敗

元請けからいただいた仕事をプログラマーに作業を割り振ってマネージメントをしていたのですが、会計システムでは流石に簿記の概念が無いと、製造するのもなかなかに難しいのです。簿記の知識がある自分がやればよかったのですが、プログラマーの成果物の品質が著しく悪く、納期遅延や品質不良で、クレームにまで発展しました。どちらかというと、問題無く納品した成功体験の方が多いのですが、やっぱり失敗というのは、なかなか頭から忘れないですね。でも、こういう失敗があるからこそ、精神的にも強くなり、失敗した時の立ち振る舞い一つで、大きな問題となる事もある事が分かり、落ち着いて対応出来るようになった気がしています。

大量退職の引き金となった私の転職

京都のシステム開発会社では約4年勤めたのですが、マネージメント能力も向上し、顧客との折衝も経験した事から、その時の待遇に満足いかなくなりました。そして、転職を決意し、一ヶ月も経たないうちに、東京本社にあるシステム開発会社に内定を得ることが出来ました。

原因としては、社長の愛人

同時期にその会社の稼ぎ頭である部長、そして、私と年齢が同じ凄腕のエンジニアも退職となりました。その会社は、成果の割に待遇が良くなく、殆どの社員が不満を抱えていたのですが、原因としては、全く成果を挙げれない社長の愛人が社員であったことが大きかったと思います。その愛人は全く成果を挙げれないのに優遇されており、社長からも貢がれてたようでした。本人たちは社員にばれてないと思ってたようですが、バレバレでした。(笑)

その後の会社の顛末

私達3人が辞めた後も細々と会社は続いてたようですが、ほどなくして愛人以外の残り5人くらい居た社員も全員辞めてしまいました。小さい会社あるあるかもしれませんが、まさか自分が社長の愛人が居る会社で働くとは思ってはいなかったので、新鮮ではありましたが、そのせいで、待遇が良くならないと思うと、やるせないですよね。

まとめ

まともな恋愛をしてこなかった自分がまさか結婚出来るとは思ってもみなかったですが、結婚し、責任感が芽生えたのかは分かりませんが、もっと稼がないと!って思ったのだけは覚えています。結婚してなかったら、派遣で今でも全国を転々としているか、うだつの上がらないエンジニアだったような気がします。結婚が全てではないですが、仕事の活力にはなりました。子供が産まれた事も大きかったですね。

 

しかしながら、まさか京都のシステム会社が社内に愛人をかこっているとは思いもしませんでした。(笑)あからさますぎて逆に無いだろうと思ってたのですが、愛人と社長の家が近い、愛人宅から社長が出てくるのを別の社員が目撃したという件もあり、全体的に社内の士気は低かったように思えます。(笑)女遊びをするのは良いですが、流石に社内は無いでしょう。(笑)

 

次の転職先でのお話は、(5)に続きます。