前回の続きです。なかなかに続くと、自分のキャリアも、そこそこ長いんだな~っと思いました。(笑)
転職後の会社で
私の所属は、大阪支店でした。面接時点では、顧客サポートの人員が大阪支店にも1人居ると聞いてたのですが、入社後、何故か辞めてました。(笑)この時点で、結構、不穏な感じがしました。
業務内容
姫路市にその会社のVIPユーザーが居るとの事で、最悪、そのユーザーさえ保守し、ケア出来ていれば良いという感じでした。面接の時と聞いてた業務内容とは結構違うな~っと思いつつも、待遇が良かったので、この時点ではあまり気にはしてませんでした。
地獄の日々
そのVIPユーザーさんのグループ企業にシステムを納品する事となってたらしいですが、詳細を確認してみると、なんと納期が一年遅れ!!!加えてユーザーさんには前任者(退職済み)に要望や仕様は伝えており、早くしろ!っと急かされていました。社内のサーバーに何かしら資料があるのではないかと、ファイルを探すも全く無く、この時に思ったのは、まさに「積んだ~!!!」でした。(笑)
悪い事は重なり
精神的にしんどい日々を過ごしてましたが、何とか納品に向けて進められてはいました。その進めている中で、母親が危篤となり、急遽、地元に帰らないといけなくなりましたが、地元に帰っても、仕事の電話で対応はしていました。有給なのに仕事してましたが、この時ほど仕事が嫌になった瞬間はありませんでしたね。そして、地元に帰省してから、一週間も経たずに母は亡くなってしまいましたが、この時ほど精神的にキツかった事は無かったです。。。
無事に納品、しかし待っていたのは、、、
システムは無事に納品出来、また、同じシステムを別のグループ企業にも何とか納品する事が出来ました。この時に入社してから、ちょうど一年くらいだったと思います。ちょこちょこ東京本社に出張で顔は出してたのですが、この時は、よく分からないタイミングで、東京出張でした。社長に呼び出され、待ってたのは、何と、営業への転身でした。大阪支社の営業が定年となるタイミングで、VIPユーザーの事を営業として面倒を見てほしいという事だったらしいですが、私としては、営業へ転身する気は全く無く、しかしながら、営業になる以外に会社に残る道は残されていなかったのと、地獄の一年を思い返し、転職を決意しました。(笑)
まとめ
この時は、滋賀県からJRで直接、姫路に通う事が多かったですが、電車と徒歩で片道3時間はかかってましたので、とにかく通うのがしんどかったですね。(笑)そして、東京出張や九州出張などもあり、とにかくいろいろなところに行きました。開発をするというよりは、開発を委託しているベンダーさんをコントロールする仕事が主でしたが、自分の力が及ばないところが多かったので、歯がゆい思いもたくさんしました。お客さんも大声で怒鳴るタイプの人で、ここの会社も割と精神的には結構きつい部類には入りました。(笑)
(6)に続きます。